糖質多めダイエット


年取ったせいなのか体重が増加、60kg前後だったのが気づいたら67kgまで。
困ったのがスーツのサイズ。痩せてた当時に買ったものばかりなので、特にウェストがかなりきつくなった。ヒップ周りもパンパンでポケットの形が変わるほど。ジャケットのボタンも一回飛びました。

スーツを買うか、痩せるかの二者択一を迫られて(後で言われたが、リフォームという選択肢もあった)、スーツをまた揃えるのは結構な出費となるので、人生で初めてまともにダイエットしようと決断。とは言ってもそんなに大げさなものではなく、少しずつ減らせればいいかなくらいの思いである。

1~2kgの体重調整は今までもしたことはあったけど、その方法は単純にカロリーを少し減らすというもので、全体の食事量をいつもより何割か少なくするという方法。平日はいつもの8割くらいの量にして、週末はいつも通りに食べるというものである。これで多少の体重の減少は難なくできていました。

7kgとなると結構大変だなと思ったけど、食べる量いつもの8割作戦でスタート。
そこで思い出したのが大学時代である。一人暮らし自炊生活で、卒業年はバイトもしてなかったので、なんとか節約しようと食費を削ることに。米は仕送りしてもらっていたので、節約のため食事はおかずをスーパーの惣菜一つで米を多く食べるという生活。江戸時代の一汁一菜みたいな食生活。

そんな生活を続けている中、就職活動の際に面接官から、「野球部出身らしいけど、そんなに痩せてて野球できたの?」と言われました。自分では痩せてるという感覚は全くなかったので、面接官もちょっと変わった見方するなと思ったくらいです。家に体重計もなかったし、体重なんて全く気にしたことなかった。

確か高校時代は63kgくらいだったと思ったが、スーパー銭湯行った際に測ってみると56kgまで落ちていた。ここで初めて痩せたなと実感。
自然にダイエットしていたのである。それも、最近流行りの糖質制限ダイエットと真逆の糖質多めダイエット。一日2食で昼は学食やパンなど軽め安めで、その代わり夜は米だけはあったので、最低一食1合以上食べていたのでそれほど空腹感はなかったです。

江戸時代の人は米を多く食べてたというイメージあったので調べてみると、このサイトによれば(江戸庶民の食事)、江戸の人は一人1日あたり4合くらい食べていたそうです。4合といえば茶碗に大盛り8杯分!一汁一菜で、ほとんどの栄養を米からとっていたようです。

江戸スタイルの食事は米好きの人にはいいかも。一日大盛り8杯のご飯食べられればだいたい満腹感は得られそうである。自分の場合はある程度おかずがないと米だけでは食べられない方なのでご飯のお供とか少し工夫が必要でした。

そんな甲斐もあって、なんとか半年で7kgほど減らすことができました。
ただ一個人の経験なので統計学的な裏付けもないのでこんなこともあるんだろうなということにしてください。

これだけ大量の糖質をとってて江戸時代の肥満率はどのようなものかと検索してみると、古い時代の体重のデータはあまりないようで、このデータによると(日本人の平均身長・平均体重の長期推移)、一番古い1900年(明治33年)を見ると、BMIは男女とも標準である。

しかし、このサイトのデータ見てて面白いところがいくつかありましたね。

身長は昔から現在まで、右肩上がりで伸びてきているもんだと思ってたけど、そうではなかったんですね。
古墳時代から江戸時代までどんどん低くなっていったのは意外でした。そして江戸末期が一番低い。

そこから現在まで伸びていくが、昭和初期の戦後に一旦低くなる。
これは動物性タンパク質を取る量によって身長は大きく変化するということらしい。
米を一番多く食べてた江戸末期が一番低く、食べるものがなかった戦後も低くなったんですね。身長を伸ばすには動物性タンパク質を多く取るのがいい。

時代によって身長は変化してるのにBMIはあまり変化せず標準にとどまっているということは、体重に関して言えば、食べるものはタンパク質、糖質の割合はあまり関係がないように思えます。バランスよく食べるというのがやはりいいのでしょうね。

それと、男性のBMIは時代が経つにつれ上昇しているが、女性はだんだん下がってきています。明治、大正時代よりも食料が豊富な現代の女性の方が痩せているのは驚き。それでも現代の女性はまだ痩せようとしているようです。

糖質の摂りすぎは糖尿病のリスクが高くなる、という論文を見つけブログに書きました。(糖尿病減らそうとした 久山町の悲劇
くれぐれも糖分の摂りすぎにはご注意を!

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